社会(歴史)教育とアクティブ・ラーニング
歴史の指導法の授業を受けている。
そこでは、議論すること、知識偏重からの脱却、アクティブ・ラーニングなどが主題として挙げられる。
授業内で、講師に向けてのコメントを書いた。
私は、歴史教育の中で、知識偏重は必要であるのではないか、と思う。
議論をするのにも知識が必要で、実際に私は知識がない故に大学の歴史学の講義での議論で結果を残せなかった。
小学校から高等学校までの歴史は考え、議論するための準備段階で知識を蓄えているのだ。
簡単にまとめると、このようなことを述べた。
私のこのコメントは、授業のフィードバックとして紹介された。
この講義は、現職の高校歴史科の教師が担当をされているが、そこでは私のこのコメントについて、このようなリアクションがあった。
まず、知識はなくても議論はできる、ということ。情報をこちらで提示し、それに応じた議論なら、学力は必要とされない。
また、小学校から高等学校までは準備段階である、というのは間違いである。
それは、大学に進んで歴史を学び、議論をする必要が生じるのは、ごくわずかで、多くの人が他の専門を大学で専攻するか、大学に行かずに就職するかが多数派なためである。
また、あなたは今、大学の歴史学の講義で自分の知識の不足を嘆き、知識の不足を必要性を感じているが、これと同じようなことを中学生・高校生に実践すれば、生徒は中学・高校の間に、今あなたが感じている知識の不足と必要性を認識することにつながり、知識も定着するのではないか。
という話だ。
続きは必ずまた書くが、そろそろ眠たいのでお暇をいただく。