キョロ充、教員志望、虚無

教員を目指すある文学徒の日記です

6/27講義のまとめ、感想

眠すぎて授業で寝まくってしまった。

 

今日は日本文学の授業しかない日だった。

 

2限では近代以降に切り捨てられた古典である『和漢朗詠集』について学んだ。

かな文字で書かれた和歌と中国漢文のみに偏重された古典の学習の違和感。

 

要約すると、かな文字の成立以後も、『土佐日記』にあるように、かな文字は女性のものとして捉えられていて、男性は漢文を書いている時代が長かったのに、それらを扱わないで古典を学んだと言えるのか、という話だった。

 

近代以降のナショナリズム形成の過程で日本漢文が消えていったということがあったが、最近の教科書では、明治期の日本人作家による漢文は掲載されるようになってきている。

それなのにあまり授業で扱われることがないのは、もったいないことのように思われる。

明治の文豪が、ナショナリズム形成下で日本漢文を書いたという行為は、当時の政治へのアンチテーゼとしての要素があるのではないか、とも考えられる。

自分が教員になった際に、日本漢文についても触れていけたら、と思った。

 

3限は『源氏物語』の注釈史

5限は歴史記述の文学史

 

を学んだ。

人が文字を書いて、後世まで残すという行為をする背景には、何らかの強い意図があり、それを読み解いていくことが私たちには求められる、ということだ。

 

文学部です、と言うと、「筆者の気持ちを読み取ってるんですか」と馬鹿にしたように言われることが多いが、実はあまり間違っていないから反論のしようがなくて困っている今日この頃です。

 

明日は観光地理学と障害児指導法の試験があるので、今から勉強をします。