3/6の記録
『教育史 西洋・日本』
教師養成研究会 森秀夫 学芸図書株式会社
読了。
『新版 教師になるということ』
池田修 学陽書房
読了。
TOEICテスト模擬問題集 一回分 132/200
大学院入試を目指して勉強を始めました。
やることは、
①英語の読解力をつけること
②教職教養を身につけること
③国語科教育についての動向を知ること
④国語科教師としての専門知識を身につけること
そのために、
①TOEIC730点を目指した勉強と、英文解釈のテキストを進める
②教育に関する様々な領域に関する本を読むことと、教採の教職教養のテキストを進めること
③これについても同様に関連分野の本を読むこと
④中高の国語科の教採のテキストを進めること
これらを同時並行してやっていくつもりです。
また、学部では日本文学を研究しているので、卒業論文の執筆作業に取り掛かるための文献購読も必要になります。
大学受験の時にはもっと多くのことを並行して進めていたので、出来ないはずはないと自分に言い聞かせて頑張っていきたいです。
なお、来週からは自動車運転免許の取得のために多くの時間を割くことになります。今のうちに沢山勉強しておかないと、大変なことになりそうです…
今年の振り返り
今年の振り返りを今(23:45)から書き始めます。
大学生活に関して
アルバイトに勤しみすぎて講義中に気を失うことが多くて、ダメだったとは思います。
ですが、教育関係について、自分のやりたいことを明確にし、レポートとかに書くことは出来たかな、と思います。
そこは成長したと思います。
でも、大学を卒業した後にどんな進路に進むかはまだ明確になっていません。
急いで決めなければ、と考えています。
アルバイトに関して
塾講師として、今年は面白い年ではありました。中学受験の生徒の国語や社会を担当したり、その他にも小学生の授業を今までで一番多くやってきました。
高校生の授業もやる機会が多く、その中でも最下位層、最上位層(中学一年生レベルの英語もままならない子から高校一年生で全科目偏差値75の子)まで教えて、多様性に富んでいて、面白い経験でした。
自分の考えられる方策はそれぞれに尽くしてきたつもりですが、上手くいかず、教育の難しさを感じました。
人間関係について
最悪でした。
彼女がいましたがその人との付き合いもおざなりにしてしまい、他の女性との関わりも、誠実であるとは言えず、誰との関係もうまくいかなかったです。
年が明けてしまいました。
今年は
大切にする女性を決めて大切にすること
塾講師として、全力を尽くすこと
学問に関して、卒論がんばる、大学院入試がんばる
ぼんやりした目標ですね…。
社会(歴史)教育とアクティブ・ラーニング
歴史の指導法の授業を受けている。
そこでは、議論すること、知識偏重からの脱却、アクティブ・ラーニングなどが主題として挙げられる。
授業内で、講師に向けてのコメントを書いた。
私は、歴史教育の中で、知識偏重は必要であるのではないか、と思う。
議論をするのにも知識が必要で、実際に私は知識がない故に大学の歴史学の講義での議論で結果を残せなかった。
小学校から高等学校までの歴史は考え、議論するための準備段階で知識を蓄えているのだ。
簡単にまとめると、このようなことを述べた。
私のこのコメントは、授業のフィードバックとして紹介された。
この講義は、現職の高校歴史科の教師が担当をされているが、そこでは私のこのコメントについて、このようなリアクションがあった。
まず、知識はなくても議論はできる、ということ。情報をこちらで提示し、それに応じた議論なら、学力は必要とされない。
また、小学校から高等学校までは準備段階である、というのは間違いである。
それは、大学に進んで歴史を学び、議論をする必要が生じるのは、ごくわずかで、多くの人が他の専門を大学で専攻するか、大学に行かずに就職するかが多数派なためである。
また、あなたは今、大学の歴史学の講義で自分の知識の不足を嘆き、知識の不足を必要性を感じているが、これと同じようなことを中学生・高校生に実践すれば、生徒は中学・高校の間に、今あなたが感じている知識の不足と必要性を認識することにつながり、知識も定着するのではないか。
という話だ。
続きは必ずまた書くが、そろそろ眠たいのでお暇をいただく。
塾について思うこと
私が所属する塾は、宿題が多いことで有名だ。
ただどうも講師の間でその宿題の取り組ませ方に問題があるような気がしている。
どういう点か、というと、「やっておいてね」とか、「全部やれ」と言ってしまう所だと思う。
授業用のテキストと、授業外で復習をするための英数理社の4科目のテキストだけでなく、暗記特訓や弱点強化と言った企画毎に使用するテキストに、夏期講習の授業用テキストと、この2ヶ月だけで別々にこれらが配布されていて、全てが中途半端に終わってしまっている。
非常に優秀な生徒はそれを全て終わらせられているが、そうした生徒は5%もおらず、その他大勢が、企画が終わったら一切テキストに触れなくなり、ひと月も経てば「無くした」と言い出す生徒までいる。
全部を並行して進めさせるのは、監督する側も面倒だし、やる側も進捗がゆっくりになる結果、テキストを進めている感覚が不足し、モチベーションが下がるという誰も得しない状況が生まれてしまう。
「まずはこのテキストを終わらせることを今月の目標にしよう!」
と言ってあげて、こちらから沢山あるテキストのうちのいくつかを指定してやらせてあげるだけで、生徒はスモールステップで目標を達成できるようになり、モチベーションの向上にも繋がるのではないか。
そう考えて今学期はそれを実践してみている。
無理矢理やらせるのも、成績を上げる目標の上では必要ではあるが、生徒のペースメーカーとなって、効率良くテキストを進められるよう、使い方を教えてやり、またその結果モチベーションが向上、自分でやる生徒になるという流れが指導の上でベストと言えるのではないか。
この結果がどうでるかを慎重に見ていきたい。
塾講師として
中学受験の生徒の国語と社会の2科目を担当することになった。
中学受験の経験者ではないので、どちらも1回目は色々調べた上で授業をした。
反省点は2つ。
小学生にわかる説明が上手く出来なかった。
地図の話や緯度と経度の話をホワイトボードだけでするのは小学生には難しかったかもしれない。
生徒が座っている状況でこちらが立って授業をしたことにより、少し重圧を与えてしまった。
この2点だ。
プレッシャーを感じながらでは実力が発揮出来ないと思うので、特に後者についてはよく意識をして授業を続けたい。
ジブリ映画「かぐや姫の物語」
帝のアゴとか、女童の顔がまんぞくさんとかそういうので話題になった作品ですが、そうした点はかぐや姫に感情移入していると辛くなり過ぎてしまうので、その時に映ってくると、すこし心が落ち着くような気がして、楽しめました。
私は古典をやっている身なので、原作の「竹取物語」との比較をしながら見ていたのですが、これは良かったです。
ただ、そうした前提知識がないと、楽しく見れなくなってしまうのかな、とも考えました。
また、ハッピーエンドで終わる訳ではないというのも、少し考えものだな、と思いました。
現代の読者、というか視聴者が見て、気分の良い終わりではないのがウーンって感じです。
「竹取物語」では登場しないステ丸とかいう男の存在は、このお話を現代的に変える働きがあるな、と。
また、古典が好きな人にとって、平安期の貴族の生活はとても優雅で、あの時代に生きたいと考える人が多いようです。
本居宣長らによる当時の文化の美化が現代にも残存しているような気がしますが、この作品は、そうした時期の貴族の生活に対して苦悩するかぐや姫が登場します。
教材としてこれを使用して、現実を見せる、というか、別に必ずしも良いものってわけじゃないんだよっていうお話をしてあげたいなと思いました。
内容全体として、「竹取物語」を現代的な意味上で捉えて何かを現代の私たちに伝えようとしている感じが伝わり、非常に良かったと思います。
全体的にぼやぼやした感想になってしまいました、また時間がある時に書き直したいと思います